Mar 21, 2015

美術史の「歴史」を書くことについて

 第18回文化庁メディア芸術祭で行われたシンポジウム「想像力の共有地<コモンズ>」、第一部の《美術・歴史・日本―自作を語るための歴史とは》(2015年2月15日開催)は、美術家の中ザワヒデキ氏と社会学者の大澤真幸氏が登壇し、中ザワ氏の近著『現代美術史日本篇 1945-2014』(アートダイバー、2014年)をひとつの切り口に、モデレーターの室井氏と共に、グローバルな状況下における日本の現代美術、メディア芸術について、あるいは現在においてどのように美術や歴史を設定し、記述していくのかということなど幅広い話が展開された。



日本の「現代美術」と「美術史」
 このシンポジウムの発端となった中ザワ氏の『現代美術日本篇1945-2014』は美術家という中ザワ氏自身の視点から書かれた日本の現代美術史である。そのため、その歴史の中に中ザワ氏本人の作品やその時々に中ザワ氏が考えたことなどが入ってきているのも当然である。
 この大きな本の特徴は二つある。まず一つ目は、日本の美術史が「前衛→反芸術→多様性」というサイクルを30年周期で繰り返すという独自の「循環史観」が採用されていることであり、20世紀に入ってからこのサイクルは3回転し、2010年以降、4回目の「前衛」のフェーズに入っているというものである。もう一つは、日英併記で書かれていることであり、中ザワ氏によると「日本史が世界史にさらされると同時に、世界史が日本史にさらされる」ことを意図したものである。日本の美術史がグローバルな文脈に出ていくことを望む声は以前から上がっているが、最近では国内の展覧会カタログも日英併記が多くなり、また欧米でもの派や具体の研究が進むなど、日本の文脈が英語で書かれることは増えてきている。しかし、グローバルに追従して世界から評価される日本のローカルというのではなく、むしろ日本が世界に対して評価し、発信しなくてはならないという立場で日英併記が行われているのである。
 シンポジウムの冒頭で行われた中ザワ氏のプレゼンテーションはシンポジウムのタイトルの解釈から始まり、《美術・歴史・日本》の「・」の使用は、椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社、1998年)を思い起こさせると言っていたが、単著として総括的に書かれた日本の美術史は針生一郎『戦後美術盛衰史』(東京書籍、1979年)千葉成夫『現代美術逸脱史 1945 - 1985』(晶文社、1986年)の3冊だけである。そのため、本書は近年の動向まで記述されたものであるがゆえ、現在進行形で日本で美術活動をしている者にとって、自分たちの立場を明らかにする一つの視点を与えるものとなるだろう。同時に、その英訳が併記されることは、日本の現代美術をドメスティックな文脈として捉えるのではなくグローバルな土台に存在しているという自覚を意識的に促すようにも思われる。
 また、本書で採用されている時代の区分に関していうと、大澤氏が戦後を「理想の時代」(終戦〜1970年)、「虚構の時代」(1970年〜1995年)、そして「不可能性の時代」(1995年以降)と区分したように、時代区分をつけることは広い分野にわたって同時多発的に起こっていることを総括的に見る視点を与えてくれるものである。大澤氏は中ザワ氏の「循環史観」について、「前衛」で始まっている時点で“アンチ”として始まっているのであって、それに対して反する「反芸術」により、何がなんだかわからなくなっていって「多様性」に行き着くという構造になっていると指摘したが、これはただの繰り返しではなく、螺旋状に上昇しているはずであって、それは社会全体的な想像力のあり方とどのように関係しているかということとも関わっているように思える。
 大澤氏はその循環を「前衛」ではなく「多様性」というところからスタートするべきではないかと提案していたが、中ザワ氏は、過去のモダニズムが印象派以降のヘゲモニーを握ったように、ここが面白いから、こうゆうエネルギーがあったということを語ることに美術史の記述を動機付けられているのであって、基本は「ハイアート」としての芸術の自律性を主張していた。以前、東浩紀氏が本書に対して、ヘーゲルの弁証法に例えて、「前衛=正→反芸術=合→多様性=悪」と言ったそうだが、中ザワ氏にとって「多様性」は、そのようなエネルギー的な方向性が見えなくなってしまうからこそ「悪」なのではないだろうか?

「歴史」を記述すること
 シンポジウムの副題である《自作を語るための歴史とは》、つまり「美術家が書いた美術史」であり、中ザワ氏が「作品の最良の解説が美術史である。自作解説として、美術史を書く。」と述べているように、80年代以降の、今まであまり美術史には含まれてこなかったイラストレーションへの言及や、インターネットのSNS上で飛び交っている画像の問題が中心に記述されるなど、まさに「自作を語るための歴史」が記述されている。そのような表現活動にあまり馴染みのない私にとっては、それらの活動が事細かに記述されているのは興味深かった。   
 「歴史」とは、基本的に誰かが何かの目的のために書いてきたものであり、また、必然的に書かれた当時にはエネルギーがあったものに見えても、後に凡庸なものとして扱われることもある。大澤氏が指摘するように、ある領域においては、例えば氏の専門である社会学でもそうだが、誰でも自分の視点に立った歴史観を持っているはずであって、その視点と歴史観から問題提起をしている。しかし、素朴に芸術と考えられているものが疑わしくなっている現在において、美術史の対象それ自体が何なのかがわからないという問題を芸術は含んでいる。つまり、美術史を書くことが、美術の定義として機能してしまうのであり、美術史を書くということは無意識的に芸術を定義していることになる。
 室井氏が、「本当にここに書いてあるのが芸術なのか? 何が現代美術であると設定されているのか?」と問題提起したように、美術と美術でないものの間の境界は曖昧である。特に室井氏が述べるポスト・アートという時代は、以前は力を持っていたいわゆる前衛は不可能であり、芸術の自律性を説いていたモダニズムの虚構さえもない、アートというものがゾンビとして存在している時代であるとされる。その時代において、美術史という名の偽史をつくることは、自律的な芸術史が可能であることを示し、安心したい、させたいという無意識が隠れているのではないかという指摘もあった。
 それに対して中ザワ氏は、そもそも定義する権威はどこにあるのだろうか? と問いかける。神が権威であった時代から、王や皇帝という(虚構の)権威に変わり、ついに民主主義によってそれらの権威さえもなくなった。その中では、アド・ラインハートらの「芸術であることが芸術である」という同語反復だけが突出したのであって、何度でも過去の美術史が召喚されパロディみたいな新古典主義を私たちは生きているという。その中で誰からお墨付きをもらうのか? と考えるとき、捏造してでも現代美術をつくっていこうとする中ザワ氏の発言は、現代の美術が抱えるジレンマを露出させながらも、それに正面から立ち向かっていこうとする姿勢が伺えた。基本的に美術史はキリスト教的なものを本質に抱えているが、ヨーロッパではその権威が何度否定されようとも、その本質的な権威は社会の構造上なくなることはない。しかし、大澤氏が指摘するように、日本の場合は本当に権威がなくなってしまうのであって、そうすると社会的な要請として権威付けが必要になる場合がある。中ザワ氏の作家活動とは同時に、その大きな要請に応えようとするものでもあるのだ。
 美術史を取り巻く言葉はとても多い。私がいまここで文章を書いて、ブログとしてインターネット上にあげるように、多くの人が展覧会や作品について記述をしている。しかし、それは美術史ではないし、歴史とはならないだろう。また、シンポジウムの《想像力の共有地<コモンズ>》というテーマは、吉岡洋氏が座長をつとめた文化庁世界メディア芸術コンベンションという国際会議の第2回目(2012年)のテーマを継承するものであって、過去3年間にわたって「メディア芸術」という日本独自の言葉が取り巻く文化状況について様々な議論がなされてきた。私は全部を聞いてきたわけではないが、「批評はいかに可能であるのか?」という問いに始まり、分断されたメディアとして自律するのではなく、お互いに侵入しあう文化のあり方、あるいは情報量だけで埋め合わせるのではなく、開かれた文化として語ることの必要性が述べられていたと記憶している。
 記述することは重要性である。しかし、「記述」することがどのように歴史をつくっていくのか、あるいはどのように歴史を変えていくのか、という根本的なことを無視することはできない。「記述」することは、開かれた文化のあり方をつくるかもしれない一方で、不用意に歴史化してしまうかもしれないという恐れもある。それらを踏まえて、私自身がもう一度、芸術についてどう考えているのか、ということへと何度も振り返ることを促された機会であった。

==シンポジウム情報===
【第18回文化庁メディア芸術祭】シンポジウム「想像力の共有地<コモンズ>」
【第1部】美術・歴史・日本―自作を語るための歴史とは
日時:2月15日(日) 
会場:国立新美術館
出演:中ザワヒデキ(美術家) 大澤 真幸(社会学者/THINKING[O]主宰)
モデレーター:室井 尚(哲学者/横浜国立大学教授)

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